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■全国3万の稲荷を祭っている神社の頂点:伏見稲荷大社
稲荷の信仰は、稲作の田の神及び、稲をネズミから守ってくれる狐をあがめることから信仰が始まったとされています。
伏見稲荷大社は、その全国の稲荷神社の頂点として、京都の伏見区にその存在を示しています。
ここは、神々の清らかな部分だけでなくどろどろした闇のパワーも感じる雰囲気が漂っています。
パワーも全開といったところのパワースポット地です。日本の最高のパワースポットの一つです。
伏見稲荷大社説明:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
千本鳥居
所在地 京都市伏見区深草藪之内町68
位置 北緯34度58分01秒
東経135度46分23秒
主祭神 宇迦之御魂大神
社格等 式内社(名神大)・二十二社・官幣大社
創建 和銅4年(711年)
本殿の様式 流造
例祭 5月3日
表・話・編・歴
伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は京都市伏見区にある神社である。稲荷神を祀る全国約4万社の稲荷神社の総本宮である。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。
式内社(名神大)、二十二社の上七社の一社で、旧社格は官幣大社。
宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)を主祭神とし、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神を配祀する。稲荷神が農業の神であるために、五穀豊穰・商売繁盛・交通安全といったご利益がある。
【伏見稲荷大社の歴史】
711年(和銅4年)2月壬午の日に、伊侶具秦公(はたのきみのいろく)が勅命を受けて伊奈利山三ヶ峯(稲荷山)に三柱の神を祀ったことに始まる。山城国風土記逸文には伊侶具秦公が稲荷神を祀ることになった経緯が書かれている。秦氏にゆかり深い神社である。延喜式神名帳には「稲荷神社三座」と記載され、名神大社に列し、月次・新甞の幣帛を受けると書かれている。1871年(明治4年)には近代社格制度のもとで官幣大社に列格するとともに、正式社名を「稲荷神社」とし、「官幣大社稲荷神社」となったが、戦後の1946年に神社本庁とは独立した単立宗教法人となり、「伏見稲荷大社」と改称した。これは、神社本庁は伊勢神宮を本宗とするとしているが、伏見稲荷としてはそれを受け入れるわけにいかないという理由である。神社本庁とは「喧嘩別れ」したわけではなく、関係は良好である。
社家には学者が多く、国学者の荷田春満も当社の社家の出身である。境内には荷田春満の旧宅が保存されており、隣設して荷田春満を祭神とする東丸神社がある(元は摂末社であったが、現在は独立した神社)。
【伏見稲荷大社:社殿】
現在の本殿は、応仁の乱で焼失した後に明応8年(1499年)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されている。
稲荷山には信者から奉納された約一万基の鳥居があり、特に千本鳥居は名所となっている。鳥居を奉納する習わしは江戸時代に始まった。
ウィキペディア(Wikipedia):より引用
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